源氏物語 若紫

発行者: 07.09.2021

源氏の生涯の伴侶となる紫の上との出会い。 源氏はまだ幼い彼女に禁断の想い人である藤壺の宮の面影を見ます。 そして藤壺の宮との二度目の逢瀬と懐妊。 この帖では藤壺の宮との苦しい恋の物語と紫の上との生涯に渡る恋の始まりが綴られます。. 五、若紫 源氏が十八歳の時、まだ十歳の若紫を北山で見かけます。 源氏は、犬君(イヌキ)という童女が若紫が大切にしていた雀の子を逃がしてしまったと泣いている若紫を見て、とても心を惹かれます。 それもそのはず、若紫は義理の母で源氏の想いの人、藤壺の姪なのでした。 源氏は幼い若紫のことを「三千年に一度咲く優雲華(ウドンゲ)の花にめぐり逢った気がして深山桜には目も移りません」と、いかに若紫が可憐で美しかを語っています。 源氏はまるで拉致同然のような形で若紫を二条院に連れ帰り、自分色に育て上げるのでした。 幼いうちからその男性の好みの女性に作り上げられていくことは、女性としては幸か不幸か分かりませんが、若紫は華やかな女性へと成熟していきます。 その華やかでありながら可憐な姿を、「樺桜のような」とも形容しています。 若紫はその後、紫の上と呼ばれ、ものごしが柔らかでありながらも社交的であり、源氏と明石の間に産まれた子を引き取り、いつくしんで育てることになります。 源氏との間に子宝に恵まれなかったこともあるでしょうが、この優しさが長い年月をかけて源氏の手によって形成されていったものだとしたら、自分というものを持たない女性のようで悲しいものがあります。 紫の上は源氏に最も愛されたとはいえ、身分上では「正妻」ではなく「正妻格」として一生を終えます。.

夕方になっても発作は起こらなかったが、聖の勧めにより一晩寺に泊まってから山を下りることに決める。 夕靄にまぎれて、気になっていた小柴垣の家の辺りへ従者の惟光だけをお供に出かけていく。 垣根の隙間から覗くと、見るからに身分の高そうな尼がお勤めをしているのが目に入る。 そして、女房が二人ほどいる他、女童たちが出たり入ったりして遊んでいる。 その女童の中に他の子どもたちとは似ても似つかないほど、大人になった姿がさぞかしと思えるような顔立ちの十歳くらいの女の子がいた。 源氏はその子の姿にとてつもなく心を惹かれる。 その理由が心の限りを尽くし思い慕っている藤壺の宮に少女の面影が似ているからであるということに気づいていた。 そして、あの子がいったい誰の子なのか、あの恋しいお方の身代わりに側に置いて、明け暮れの慰めにしたいものだと考えるのであった。.

源氏が十八歳の時、まだ十歳の若紫を北山で見かけます。 源氏は、犬君(イヌキ)という童女が若紫が大切にしていた雀の子を逃がしてしまったと泣いている若紫を見て、とても心を惹かれます。 それもそのはず、若紫は義理の母で源氏の想いの人、藤壺の姪なのでした。. 尼君、「いで、あなをさなや。言ふかひなうものし給ふかな。おのが、かく今日明日におぼゆる命をば、何ともおぼしたらで、雀慕ひ給ふほどよ。罪得ることぞと、常に聞こゆるを、心憂く。」とて、「こちや。」と言へば、ついゐたり。 尼君が、「なんと、まあ子供っぽいことよ。たわいなくていらっしゃるよ。私の、このように今日明日に(迫ったと)思われる余命なんか、何ともお思いにならないで、雀に夢中になっておられることよ。(生き物をいじめるのは)罪作りなことですよと、いつも申し上げているのに、情けないことに。」と言って、「こっちへいらっしゃい。」と言うと、(少女は)膝をついて座った。.

掲載情報は年11月23日の公開時の情報となります。 公開時と掲載内容が異なる場合がありますので、詳細につきましては直接お問い合わせください。. その夜、僧坊の主である僧都から家(夕方に覗き見した僧坊)へと招待される。 そして、尼のことや少女のことを僧都から聞き出すのであった。 僧都の話では、尼は僧都の妹で夫であった按察使大納言が亡くなった後出家をしたが、現在は体調を崩し北山に籠っているという。 尼には一人娘がおり、たいそう大切に育てていたが、いつの頃からか兵部卿の宮が通うようになっていた。 兵部卿の宮には高貴な身分の北の方がいたため、尼の娘は思い悩みそれが原因となったのか病気になって亡くなってしまったという。 尼の娘と兵部卿の宮の間には一人娘がおり、その子が夕方に覗き見たあの女の子であった。 この話を聞いた源氏は、少女が藤壺の宮に似ている理由に納得する。 少女の父である兵部卿の宮は藤壺の宮の兄であり、少女は藤壺の宮の姪ということになるからだ。 その事実を知った源氏は益々少女に心惹かれ、自分の手で理想通りの女に育て上げたいものだと思うのであった。 さっそく僧都に少女の後見役にならせてもらえるよう尼に伝えてくれないかと申し出るが、まだ大変幼い少女であるため本気に思ってもらえない。 そこで源氏は、直接、尼に対して少女への思いを伝えてみる。 しかし尼もあまりにも幼い少女に対しての源氏の思いに何かの間違いだろうと戸惑い、四、五年経ってからならと返事をよこすのであった。 翌朝、病もすっかり良くなった源氏の迎えに、家来たちがたくさんやってくる。 そして、春の素晴らしい花に足も止めず引き返すのはもったいないと源氏の出発にあわせて美しい花を眺めつつ音楽を奏で始める。 その場で源氏が岩にけだるげによりかかる姿は何にも比べようもなく不気味なほど美しいものであった。 庵の中で源氏の姿を目にした少女も幼心になんと素晴らしいお方だと思い「お父様よりもずっとお綺麗ね」などと言っている。 そして、それからはお人形遊びにもお絵描きにもこれは源氏の君よと決め、綺麗な着物を着せて大切にしているという。.

ねびゆかむさまゆかしき人かなと、目とまり給ふ。さるは、限りなう心を尽くし聞こゆる人に、いとよう似奉れるが、まもらるるなりけりと、思ふにも涙ぞ落つる。 成長してゆく先の様子を見たい人だなあと思って、(源氏は)目がとまりなさる。そのくせ実は、このうえもなくお慕い申し上げている人〔藤壺の宮〕に、たいそうよく似申し上げているのが、(心がひかれ、)視線もおのずととまるのだなあと、思うにつけても涙が落ちるのだった。.

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源氏物語の若紫あらすじ・藤壺は源氏の子を宿す

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人々は帰し給ひて、惟光の朝臣とのぞき給へば、ただこの西面にしも、持仏据ゑ奉りて行ふ尼なりけり。蘗少し上げて、花奉るめり。 お供の者たちはお帰しになって、惟光の朝臣とのぞいて御覧になると、(目に入ったのは)ちょうど目の前の西向きの部屋に、守り本尊をお据え申し上げておつとめしている尼君であった。蘗を少し巻き上げて、(女房が)仏に花をお供えしているようだ。. その夜、僧坊の主である僧都から家(夕方に覗き見した僧坊)へと招待される。 そして、尼のことや少女のことを僧都から聞き出すのであった。 僧都の話では、尼は僧都の妹で夫であった按察使大納言が亡くなった後出家をしたが、現在は体調を崩し北山に籠っているという。 尼には一人娘がおり、たいそう大切に育てていたが、いつの頃からか兵部卿の宮が通うようになっていた。 兵部卿の宮には高貴な身分の北の方がいたため、尼の娘は思い悩みそれが原因となったのか病気になって亡くなってしまったという。 尼の娘と兵部卿の宮の間には一人娘がおり、その子が夕方に覗き見たあの女の子であった。 この話を聞いた源氏は、少女が藤壺の宮に似ている理由に納得する。 少女の父である兵部卿の宮は藤壺の宮の兄であり、少女は藤壺の宮の姪ということになるからだ。 その事実を知った源氏は益々少女に心惹かれ、自分の手で理想通りの女に育て上げたいものだと思うのであった。 さっそく僧都に少女の後見役にならせてもらえるよう尼に伝えてくれないかと申し出るが、まだ大変幼い少女であるため本気に思ってもらえない。 そこで源氏は、直接、尼に対して少女への思いを伝えてみる。 しかし尼もあまりにも幼い少女に対しての源氏の思いに何かの間違いだろうと戸惑い、四、五年経ってからならと返事をよこすのであった。 翌朝、病もすっかり良くなった源氏の迎えに、家来たちがたくさんやってくる。 そして、春の素晴らしい花に足も止めず引き返すのはもったいないと源氏の出発にあわせて美しい花を眺めつつ音楽を奏で始める。 その場で源氏が岩にけだるげによりかかる姿は何にも比べようもなく不気味なほど美しいものであった。 庵の中で源氏の姿を目にした少女も幼心になんと素晴らしいお方だと思い「お父様よりもずっとお綺麗ね」などと言っている。 そして、それからはお人形遊びにもお絵描きにもこれは源氏の君よと決め、綺麗な着物を着せて大切にしているという。.

この帖で初めて、藤壺の宮と以前に関係があったこと、そして二度目の逢瀬が綴られます。 「藤壺の宮との逢瀬と妊娠」「若紫の強引な連れ去り」 この2つは同じ時期の出来事であり、普通に考えると最愛の人(しかも帝の妻であり自分の義母)が自分の子どもを妊娠しているかもしれない状況で、幼い少女を強引に奪い去るという行動は理解し難いものです。 しかし、私は藤壺の宮の妊娠があったからこそ、源氏は無理やりにでも若紫を連れ去ったのだと思います。 藤壺の宮は源氏が父であることを誰にも告げず、妊娠の時期を偽るという一世一代の嘘をつきます。 そして、源氏の手紙に対する返事も妊娠前までは時々返していましたが、妊娠後は一切返すことはなくなります。 その藤壺の宮の決意を源氏は感じ取り、叶うことのない恋、望んではいけない恋であるということを再認識したのではないでしょうか(それでも諦めないのが源氏です)。 しかし、藤壺の宮への思いが消えるはずもなく(むしろ困難な恋にこそ燃える源氏)、苦しい心を紛らわすことができる唯一の女性が藤壺の宮の面影がある若紫なのです。 藤壺の宮との恋の道が困難になることで思いが募れば募るほど、若紫への情愛も深くなり、強引な行動の後押しとなったのでしょう。 この時点での源氏の若紫への愛情は行き場をなくした藤壺の宮へ愛情を紛らわすためのものだったと私は思います。 幼い頃は藤壺の宮に母を重ね、やがて恋心を募らせていった源氏。 そして生涯の伴侶となる若紫に惹かれたのは、藤壺の宮に似ていたから(彼女の姪であり血縁者でもある)。 源氏の恋の道の根底に常にあるのは藤壺の宮への苦しいまでの恋慕、そして幼い頃に亡くした母への憧れなのです。.

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~源氏好みの女性に育てられた美しい若紫と不細工な末摘花~

その夜、僧坊の主である僧都から家(夕方に覗き見した僧坊)へと招待される。 そして、尼のことや少女のことを僧都から聞き出すのであった。 僧都の話では、尼は僧都の妹で夫であった按察使大納言が亡くなった後出家をしたが、現在は体調を崩し北山に籠っているという。 尼には一人娘がおり、たいそう大切に育てていたが、いつの頃からか兵部卿の宮が通うようになっていた。 兵部卿の宮には高貴な身分の北の方がいたため、尼の娘は思い悩みそれが原因となったのか病気になって亡くなってしまったという。 尼の娘と兵部卿の宮の間には一人娘がおり、その子が夕方に覗き見たあの女の子であった。 この話を聞いた源氏は、少女が藤壺の宮に似ている理由に納得する。 少女の父である兵部卿の宮は藤壺の宮の兄であり、少女は藤壺の宮の姪ということになるからだ。 その事実を知った源氏は益々少女に心惹かれ、自分の手で理想通りの女に育て上げたいものだと思うのであった。 さっそく僧都に少女の後見役にならせてもらえるよう尼に伝えてくれないかと申し出るが、まだ大変幼い少女であるため本気に思ってもらえない。 そこで源氏は、直接、尼に対して少女への思いを伝えてみる。 しかし尼もあまりにも幼い少女に対しての源氏の思いに何かの間違いだろうと戸惑い、四、五年経ってからならと返事をよこすのであった。 翌朝、病もすっかり良くなった源氏の迎えに、家来たちがたくさんやってくる。 そして、春の素晴らしい花に足も止めず引き返すのはもったいないと源氏の出発にあわせて美しい花を眺めつつ音楽を奏で始める。 その場で源氏が岩にけだるげによりかかる姿は何にも比べようもなく不気味なほど美しいものであった。 庵の中で源氏の姿を目にした少女も幼心になんと素晴らしいお方だと思い「お父様よりもずっとお綺麗ね」などと言っている。 そして、それからはお人形遊びにもお絵描きにもこれは源氏の君よと決め、綺麗な着物を着せて大切にしているという。.

Twitterでシェア -. つらつきいとらうたげにて、まゆのわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪ざし、いみじううつくし。 (少女の)顔の様子はたいそうかわいらしげで、(まだ剃り落としていない)眉のあたりはほんのりとして、子供らしくかき上げた額ぎわや、髪の生え具合は、たいへんかわいらしい。. 寺に戻った源氏であったが、昼になるにつれて具合が悪くなってしまうのではないかと不安に思う。 そんな源氏に対し従者たちはあまり病気の事を考えない方がよいと言うので、山を登って素晴らしい京の景色を眺める。 従者たちが源氏の気を紛らわせるために地方の海や山の話を続ける中、源良清が播磨の明石の浦に住む入道の話を始める。 入道は変わり者の偏屈で都での出世を捨て明石の国守となったものの、国の人々に侮られたため、現在は出家しているという。 しかし出家したあとも人里離れた山に籠ることはなく明石の海辺で国守時代の財で豪邸を構え悠々と暮らしている。 この入道には器量も性質もなかなかによい一人娘がいる。 入道はその娘の将来を格別に思案しており、入道自身がこれぞと思うような最上の男が現れない場合は海に身を投げて死ねとまで言い聞かせているらしい。 その話を聞いた源氏は、田舎に住む器量のよい秘蔵子である明石の娘に興味をそそられるのであった。.

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光源氏の恋はマザコンが起源!?

五、若紫 源氏が十八歳の時、まだ十歳の若紫を北山で見かけます。 源氏は、犬君(イヌキ)という童女が若紫が大切にしていた雀の子を逃がしてしまったと泣いている若紫を見て、とても心を惹かれます。 それもそのはず、若紫は義理の母で源氏の想いの人、藤壺の姪なのでした。 源氏は幼い若紫のことを「三千年に一度咲く優雲華(ウドンゲ)の花にめぐり逢った気がして深山桜には目も移りません」と、いかに若紫が可憐で美しかを語っています。 源氏はまるで拉致同然のような形で若紫を二条院に連れ帰り、自分色に育て上げるのでした。 幼いうちからその男性の好みの女性に作り上げられていくことは、女性としては幸か不幸か分かりませんが、若紫は華やかな女性へと成熟していきます。 その華やかでありながら可憐な姿を、「樺桜のような」とも形容しています。 若紫はその後、紫の上と呼ばれ、ものごしが柔らかでありながらも社交的であり、源氏と明石の間に産まれた子を引き取り、いつくしんで育てることになります。 源氏との間に子宝に恵まれなかったこともあるでしょうが、この優しさが長い年月をかけて源氏の手によって形成されていったものだとしたら、自分というものを持たない女性のようで悲しいものがあります。 紫の上は源氏に最も愛されたとはいえ、身分上では「正妻」ではなく「正妻格」として一生を終えます。.

寺に戻った源氏であったが、昼になるにつれて具合が悪くなってしまうのではないかと不安に思う。 そんな源氏に対し従者たちはあまり病気の事を考えない方がよいと言うので、山を登って素晴らしい京の景色を眺める。 従者たちが源氏の気を紛らわせるために地方の海や山の話を続ける中、源良清が播磨の明石の浦に住む入道の話を始める。 入道は変わり者の偏屈で都での出世を捨て明石の国守となったものの、国の人々に侮られたため、現在は出家しているという。 しかし出家したあとも人里離れた山に籠ることはなく明石の海辺で国守時代の財で豪邸を構え悠々と暮らしている。 この入道には器量も性質もなかなかによい一人娘がいる。 入道はその娘の将来を格別に思案しており、入道自身がこれぞと思うような最上の男が現れない場合は海に身を投げて死ねとまで言い聞かせているらしい。 その話を聞いた源氏は、田舎に住む器量のよい秘蔵子である明石の娘に興味をそそられるのであった。.

後に源氏が姫君たちにお歳暮の着物を贈る場面が描かれているのですが、源氏は末摘花にはとびっきり上品な柳色の地色に唐草模様の着物を選びます。 実は末摘花がやたら長い顔で鼻の頭が真っ赤で不細工なことも、センスが悪くて十二単の上に男の人が狩のために着る毛皮のチョッキを羽織っていることも、源氏の取り巻きの女御たちは誰も知りません。 末摘花を知っているのは源氏だけなのです。.

  • 都に戻った源氏は宮中に参内し、帝に報告をする。 そして左大臣の勧められ、左大臣邸へと行くことになる。 左大臣邸には妻である葵の上がいるが、すぐには姿を見せず、ようやく出てきてもかしこまった態度のままである。 源氏が北山の話などをしても愛想よく返事をすることもなく二人の距離は歳月がたつほどに疎遠になっていくように感じられた。 寝所に源氏が入っても、葵の上がすぐについてくる様子もなく、源氏は他の女性のことに思いを巡らせる。.
  • 物語の舞台について ・源氏が若紫を見染めたお寺は大雲寺? 定かではないものの京都の左京区岩倉上蔵町の「大雲寺」が、源氏が若紫を見そめたお寺とされています。近くには冷泉天皇皇后陵があります。 ・醍醐寺と末摘花について 京都の伏見区にある醍醐寺は世界文化遺産でもあり、五重塔は現存する京都の最古のものです。 物語の設定の中では、末摘花の兄が出家して醍醐寺の阿闍梨ななったという物語の設定となっていますが、桜の名所として有名です。.
  • 幼いうちからその男性の好みの女性に作り上げられていくことは、女性としては幸か不幸か分かりませんが、若紫は華やかな女性へと成熟していきます。 その華やかでありながら可憐な姿を、「樺桜のような」とも形容しています。.
  • 源氏十八才の三月。 瘧病 わらわやみ (現在のマラリアのような病)を患った源氏は明け方、北山の行者のもとへ加持祈祷を受けに行く。 さっそく噂通りの高徳の聖から加持などを受けた源氏の気分は多少良くなり、日が昇ると外に出て景色を眺望する。 辺りには僧坊(僧侶が住む建物)があちこちにあったが、その中に一際すっきりとした小柴垣に囲まれた小綺麗な家で風情よく見えるものがあった。.

源氏物語の若紫あらすじ・源氏、紫の上をかいま見る

六、末摘花 荒れ果てた屋敷に、ひっそりと暮らす琴の名手がいると聞きつけた源氏は、末摘花に何度か恋文を渡しますが返事がありません。 やっとの思いで契りを交わしますが、ほの明かりのもとで目にした姫君の姿は、猫背で、その風貌たるや馬のように長い顔に、赤くて長い鼻でした。 源氏はがっかりするのですが、どういうわけか晩年まで末摘花の面倒を見るのでした。 末摘花には計り知れない魅力があったのでしょうか。源氏はなかなかの律義者であったのでしょうか。それとも彼女が常陸宮の姫君であったからでしょうか。 末摘花とは、紅花のことを言います。 寒さで赤くなった姫君の鼻先と、紅花の赤をかけたのでしょう。 源氏は内心、夕顔のような美しい女性と思い、薄暗い中で契ったのでしょうが、そうではなかったことが滑稽に描かれています。 後に源氏が姫君たちにお歳暮の着物を贈る場面が描かれているのですが、源氏は末摘花にはとびっきり上品な柳色の地色に唐草模様の着物を選びます。 実は末摘花がやたら長い顔で鼻の頭が真っ赤で不細工なことも、センスが悪くて十二単の上に男の人が狩のために着る毛皮のチョッキを羽織っていることも、源氏の取り巻きの女御たちは誰も知りません。 末摘花を知っているのは源氏だけなのです。 興味津々で源氏の着物選びを見ていた女御たちは「さすが皇室の出の姫君、どんなにか品がよくてお美しい人なんでしょう」とヒソヒソ話をするのでした。 末摘花の巻は源氏物語の中では唯一の滑稽譚です。 美しすぎる紫の上は晩年病気がちになり、出家を強く望むのですが源氏は許してくれませんでした。 一方、不細工すぎる末摘花は、晩年光源氏に二条東院に引き取られて庇護され、穏やかに過ごしました。 紫式部はこのユニークな末摘花を滑稽に描きながら、美女ゆえの悲しさ、醜女ゆえのおもしろさや、美女だから幸せ、不細工だから不幸せとは言い切れないことが書きたかったのかもしれません。.

中の柱に寄りゐて、脇息の上に経を置きて、いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず。 部屋の中柱に寄りかかって座って、脇息の上に経文を置いて、たいそう苦しそうに読んでいる尼君は、並ひととおりの身分の人とは思われない。. 源氏物語について 源氏物語は、あくまでも物語でフィクションです。 実在の地名がどんどん出てくるため、歴史上の実話のようにも思われますが、そうではありません。 しかし、それぞれのモデルはあるようで、光源氏は嵯峨天皇の息子源融(みなもとのとおる)と言われています。.

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